地中海から

アヒージョ(以下AH)を初めて作る。

なんてハイカラな料理だ!とスルーしていたが、大量のボイルドシオフキを何とかしないといけない。

料理教室みたいになった。
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使う分のホンビノス貝、シオフキを茹でてAHを作る。

観音崎産のハマダイコンサヤもついている。

AHと言っても、結局はオリーブオイルの香り煮である。

食材を入れて油で煮るだけ。

火だけ注意していればよろしい。

その他にタマネギ、人参を加えコトコト煮込んでいく。

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宇宙人を箸でつまんでいるのではなく、ホンビノス貝です。

考えてみたら不思議なもので、北米の遺伝子を持つホンビノス貝が、東京湾の養分で育っているのだから、東京湾の養分で北米の遺伝子を作っているってことか?

・・・よく、わからん。

できた。

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お吸い物ではありません。

漬け物でもありません。

人生初のAH(アヒージョ)です。

・・・AHJかな?まあ、いいや。

おおw

さすがはヨーロッパの海鮮風味付けの元。

貝類にもピッタリだ。

エビなんかはないから、仕方ないけど、やってみれば面白い。

AHのガーリックが海鮮の臭さを消して、美味さだけを前面に出している。 

AH・・・クセになりそうだ。

 

相変わらずだけど(貝料理)

捨てるのは勿体ない、今が手に入れるチャンス!ということで手に入れた食料。f:id:Southapollon:20190425003224j:image

焼き秋刀魚2つで¥120。

カツオ腹身¥160。

お弁当小¥90。

おにぎり1個¥30。

サバ弁当¥120。

・・・毎日がこの値段だったら良いのに。

だけど、現実はそう甘くはない。

もし、安価が日常ならスーパーは戦場となるだろう。

冷凍保存で解凍しながら食べるか・・・。

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さて、先日から取り続けてきた貝類。

・シオフキ

・ツメタガイ

・コシダカガンガラ

・アカニ

ホンビノス貝

など、しばらくは食に困らないくらいの量がある。

職ではない食。

職なら、別の意味で困る。

みな、再就職が困難ゆえ今の仕事に、何があってもしがみつくのではないかッ!

(´・ω・`)「次、仕事探すハメになったら、掃除当番とか庶務雑用係だな」

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まずは巻貝系を湯掻く。
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カニシ、ツメタガイ、コシダカガンガラ。大きなものは時間をかけてボイルする。
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これを殻から外していく。

まずはアカニシから。

 

※グロ注意。

 

 

 

カニシを3部に分けた。
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肉、肝、卵。

背中にインプットされているのが、肝である。

なお、中腸腺はアカニシの場合、とても苦いので私は敬遠する。

 

次はツメタガイ。

まな板下がツメタガイ。上がアカニシ。
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カニシの場合、左上が中腸腺。まだ、肝を出していないの図。

ツメタガイば下、左から中腸腺、肉、卵の順。

なお、ツメタガイの中腸腺は苦くないから大丈夫。

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シオフキも巻貝とともに茹でた。

いち早く湯上げしたけど。

今回、シオフキは少し広いところで、砂出しをさせたから、ほとんど砂をかんでいない。

奇跡的だ。

味はアオヤギと変わらないから、代用もできる。

ではでは、揃えてみたのがコレ。
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全てボイルドだが、貝のお造りにしてみた。

サザエやアワビと違い、匂う貝類は生姜醤油で食べるのが良い。

ツメタガイなどは湯掻いた時に、とんでもない匂いを発するが、その後よく洗い食べ物にしたなら、全く問題ない・・・そこに追い討ちをかけるように、生姜醤油で召せば完璧だ。

(´-ω-)ウム

このひと皿では2人前くらいはある。

旅館や民宿で出されたら1皿¥1,000はすんじゃないかな?

カニシのシャクシャク感が良い。サザエみたいに海藻臭さがないから、食べやすいといえば食べやすい。

ツメタガイは固い。

たぶん、砂肝のように、食べるのが良いのか?と思う。

ネギ砂肝をネギツメタガイにするのだ。

シオフキは砂がないのが、感動でアオヤギを喰ってるみたいに甘い。

食べ過ぎないように、残りは何とか保存に工夫を重ねる。

ツメタガイを湯掻いた時は、ヤッパリ・・・
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( •́ฅ•̀ )クサッ

 

 

 

 

コラボレーション

国のヘッドが某お笑い番組に出て物議を醸し出している。

 

・・・何をいまさら。

 

思えば、政治評論家や○○大臣なども、吉本○業に顔を出していたではないか?

ガ○使の「笑っ○は○けない」にも、ちょくちょく、お偉いさんが出て、ネタの一環として出ていたではないか?

もう、そんなもんである。

親和性のある人は「笑い」がより人と人を親密にさせると思っているのだろう。

政治と世間をより近く…などと。

別の見方として、吉○興業が商売のために、国のヘッドに近づいているというが、有り得なくはないだろう。

結果として儲かればそうなる話だ。

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芸人たちが、政治に意見するシーンも前からあった。

1意見として悪くは無いと思う。

ただ、私個人的にはどうも発言の数々がライトな印象があって引っかかっていた。

確かに言っていることは正しい。

パッパッとしてしまえばええんとちゃう?みたいに、いうのはフットワークが軽くて良さそうだ。

即決明解みたいなものが世の中歓迎されている風潮でもあるのかしら?

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私が今の問題に感じるのは、フラットさがあり、重々しさがなくなったな、と言うことだ。

まえは、(番組に出演したとしても)一線をしいて慎重に、重々しく、大事なものを扱うかのように、政治屋、芸人が互いにやっていた気がする。

フレンドリーシップみたいものが、なんだか前面に来ていて「何事をも」慎重に扱う感じが欠けているのだ。

意見を言ったり、(その手の)番組に出たりする。

やりすぎだと感じる。

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番組・・・舞台は虚である。

その場で鑑賞し終われば現実世界に戻ってくる。

だが、政治というリアルなやりとりをする場である。

もちろん、トリックスターとしての笑い、笑わせる人というのは、あるかもしれない。

しかし、多くはリアルで慎重なやりとりがなされる場である。

戦のある国もある。

テロに見舞われるところもある。

果たして、お笑い芸人たちが為政者の世界に、リアルとして入り込むのはどうなのだろう?

器用さ②

先に、天才は矢を真っ直ぐ射て、努力家は的の中心に向かい、非凡はいつまでも周りを永遠に回り続ける、と書いた。

モーツァルトが怖いのは、華(才能を発揮)を咲かせてしまったら、逝ってしまったことだと思う。

(´・ω・`)「才能はやたら滅多に咲かすもんじゃないかもな」

あと、ある種の才覚を持つ人や天才とかと言われる人というのは、居て疲れることがある。

過去にマイケル・ジャクソンは控え室のホテルで、床がびしょ濡れになるまで、練習していたというから、果たして彼に付き添う人は身が持つかしら?

村上春樹海辺のカフカでは、才覚を発揮したため、燃かすを周りが始末しなければならない話が出てくるが、どうなのだろう?

オワンクラゲに光る遺伝子を組み込み、賞を貰った人がいたけど、家族もそれに付き合っていたらしい。

家族は果たして本望だろうか?

誰か、抜けだしたい奴がいたとしても、おかしくはない。

必ずしも何かを成し遂げる時は、周りが協力的か?といえば、そうでもないこともありうる。

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努力・・・というか、持続はなんか意味があるか?といえば、あると思う。

非凡極まりない私も、個人的な事業として、自分に付き合っているんだぞ!と思い、常日頃アウトドアなんかに出掛けている。

そりゃ、私より遥かに優れた人はいる。

野食の分野でいまスポットライトを浴びている人は、生物学に詳しい人、チャレンジ精神に溢れる人、野草を芸術作品みたいに料理する人、マタギ(差別?)顔負けで自然に詳しい人、サバイバルに長けた人など非凡人にとっては・・・

(´;ω;`)「コイツらにゃ、オラァは叶わねぇ」

な、自然分野に才覚を持つ人が沢山いる。

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ゆえに、身近なできることをやるのが、私のモットーだ。

やることに背伸びしない。

できることを、なるべく気を利かせてやる。

個人的な事業として行うのだ。

器用さ

姉貴は気丈で何でもそつなくこなす人だ。

さらさらと、やってしまうのは物事のルーチンが透視できてしまうのかもしれない。

こうすれば上手くいく、というのを良く思いつく人で「それが人間のベース」だと思い込んでいるフシがあるのだが…。

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天才とか凡人の違いはなんだろうか?

他の人と単に物事の見方が人と違うだけたろうか?

そうでもあるし、そうでないともいえる。

私が最近思うのは・・・、

天才というのは的を真っ直ぐ当てにいく人で、努力家はその周りをグルグルしながら、中心に向かう人…。

でも、たいていの人はグルグル回り続けて、中心にすら近寄れないんじゃないか?とそんな気がする。

器用さも一種の才能のようだ。

だけど燃焼が早く、次に心移りしてしまいモノにならない。

さらさらとそつなくこなす・・・たぶん、それでいいのかもしれない。

村上春樹河合隼雄との対談で、モーツァルトは才覚を現すのが早かったと、逆に弁証法みたいに積み上げていくのが自分だ、言っていたが、天才というのは矢を射るようなタイプと、コツコツ型のタイプがいるようだ。

ちなみに大器晩成は、必ず最後モノになるという意味ではないらしい。

というのは、(人生)最後までやっても、なかなかモノにならない、というニュアンスが本来だとか。

他人ならともかく本人が自分すらも、

(´・ω・`)「もう、付き合ってらんねーよ」

と、放り出したら、そこでおしまいである。

最後に咲くかもしれない華(作品・技術・求めるモノ)に希望をかけるのが、コツコツ型の才能なのかもしれない。

努力というより、持続力かもしれないけど。

 

幕張まとめ

幕張に日が沈む。
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いや、もう沈んだか?

80年代は地上の楽園はどこかにある、なんて言われていたり、科学がまだ夢を叶えてくれる感じがあったが、いまは見たところ、地上の楽園は実現している。

冬のイルミネーションやスカイツリー、そして巨大なイオン幕張新都心

これから、何が出てくるか?要は人には新し物好きな面があるのだろう。

次に出てくるものを楽しむ心性。

移ろいゆく世界。

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マリンではナイターをやっていた。

応援スタイルはいつの時代も変わらない。

歓声が幕張の夜に響く。

少しお得な話をすれば、イオンモール幕張新都心は土日に集客を目指しているようで、平日はがら空きである。

今宵、フードコートや喫茶店はガラガラだた。

人混みの嫌いな紳士淑女は来てみるといい。

逆に言えば、フツーの人は「あそこはいっぱい人いるから」と言って安心しているのかもしれんな。

「もの買うとこ近所にないから」の反論ではどうも理由不足だ。

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帰ってきてホンビノス貝を見つめてみる。

(´・ω・`)「・・・・・・・・・・・・・・・」

なんでもかんでも、金額で言うのは下品だが、これはそれこそ価値あると思うよ。

深夜スーパーで1個¥50なんかで、値引かれて売られていたけど、利用価値も栄養価値も美味さや(とりがいや満足感も)あるなら、¥50は安すぎる。

ちなみに、殻の黒いのは硫黄らしいです。酸素に触れれば白くなるから問題ないと。

酸素が足りない海域だと、硫黄が黒くなり目立つのだそうだ。

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アユが安かった。
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今日は疲れすぎているから、冷凍保存してあとで頂く。

≒¥600→¥200。

これじゃ、食べ残しの国になる訳だよ。

アユも死んでパック詰めされているから、泣くにも泣けない。

 

ネットの功罪(親密さ)

ネットの普及は、人間同士の脳を密着させたと思う。

情報過剰を言う人がいるが、私は人間関係の親密さをより近くした・・・いや、それどころか意識を重ね合わせているんじゃないか?と感じる。

瞬速な意識のやりとりだ。

親密なやりとりは時にYES、NOで事足りてしまう。

文章や文脈がどんどん削られていく。

もう、子供が本を読まないと叱る大人もいないだろう。

大人ですら本より、コミニケーションツールを眺めているのが1日なんと多いことか。

常識は時代により変わる(代わる)。

親密さは人格の壁をとろかしてしまうのではないか?と思う。

やりとりが、どちらのものだったのか?意識だけのやりとりが、身体(目の前の相手)なしでできてしまあいのだ。

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卑近な例をこれから、例えて言うから申し訳ないが、最近人間が親密になってきているんじゃないか?と、そんな感じがする。

ある意味、SNSでは礼節を抜きにして、効率的にやりとりができる。

そこには相手の感情を読む必要もなくなることもある。

ミュートやブロックは自分の花園を作ることに似ている。

都合の良い相手を選んでさえいれば良いのだ。

そのノリで知らない相手・・・初見の相手に気軽に話しかけたらどうだろう?

あまりにも、ノーガードすぎやしないだろうか?

平和に自分の好きな花壇を作るのは良い。

だが、1つ意識を現実に戻してみれば、そこには今まであった、親密さもさほどない世界があるだけだ。

親密さの罠である。

 

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