いま、とある気功師の本を読んでいる。
というか、読みかけだけど。
たとえば、どこか身体がおかしいな?と思えば、いまだったらインフル休みとか風邪薬飲んで大事をとるだろう。
だけど、何ともないのに調子が悪いと来たら、代替療法の出番になる。
だけど正直、高価だ。
私のように年がら年中、貧乏暇なしで安月給なら、なるべく養生しながら様子を見るしかない。
「何もしないのは中くらいの医者だ」
と、大陸では諺になっている。
下手な治療法は、身体の自然治癒力すらも曲げてしまうようだ。
ところで、それでも手をこまねいているわけではござらん。
数千円でマシになるなら、セラピーの名人の良書を見た方が良い。
世の中にはカリスマという人がいるものだ。
(カリスマについては前に書きました)
その人から見ればどこがどうなんだかが見えるらしい。
その人の人間性やポリシーはともかく、技術としてこちらが受け取れば、嫌な思いはしない。
「こう来たら、こう返す」
の、上手い人は何事もスルりと水のように流す。
そんな感じで読んだ本は、読後感が爽やかだ。
読むセラピーと言っても良い。
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「憑き物信仰」というのが昔あった。
キツネ、犬、蛇、たぬき、その他…。
それらを利用して良い未来を観(させ)たり、捜し物をさがすのだが、憑き物が悪さをするというのがある。
明治のキツネに憑かれた嫁さんが、実は姑の確執で悩まされていた、なんて言うのは今の精神医学で「解離」を起こしていた、と説明される。
解離することで、辛い現実から自分を守る状態なのだが、周りははた迷惑で電気ショックで治療されたらしい。
辛い現実から解離して自分を守る、と言うのは現代でもありうる。
いつまでもスマホをいじくって前を見ないとか、何かにとても拘ることで自我を守っていることもあるんだとか。
拘りや執着、解離にしてもまだ、身体にとって健全な方を選べば良い。
不健康、状況の悪化するものは避けた方が良い。
身のためだ。