綺麗すぎる

なだいなだの患者に、初めて海を見た人のことが書いてあり、いつまでも引っかかっている。

あるいは、鎌田實の患者(旅芸者)に字が書けない麻痺の老人が出てくる。

これも、引っかかっている。

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どちらも、古い人で昔からの土地を出なかったとか、教育よりも喰っていくことを人生の初めで選択せざるを得なかったパターンだ。

なだ氏の患者はアルコール症でここに連れてこられ、海久里浜に来て海をみられた、見たことも無い食べ物を食べれたという。

鎌田氏の患者は養老会のレクで字を習えるから、良かったという。

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今の人は何でも揃うから、恵まれているというのは早計だろう。

あるもの(教育)で競走させられる子供、倫理やルールもない中(競争社会)で生きる若い子。

人は生まれる時代を選べない。

生まれた世界で何とかやっていくしかない。

それがたとえ劣悪だろうが、雁字搦めの世界だろうが。

今の世で「あるもの」が毒になったり、過剰に・・・脂肪過剰みたいになると私は思ってもいなかった。

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なだ氏や鎌田氏の患者のケースをジッと見る(ようにする)と、人間って一体なんだろう?と思う。

少し生まれる時期が早まったため、小学校に行けなかったり、アルコールのある文化に放り込まれたりする。

自分で選べる、選べると思うのが、自立でもあるのだけど、それでもより俯瞰的に見ると、実は水路に水が流れ込むように、先に道があったのではないか?と、言う気がする。

もちろん、そんな俯瞰的に見られる人が人生のルートに対して、先見の明があるのだろうけど。

サムシング・グレート(神)に近い視点だ。

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