当たり前を疑う(その②…いや③?)

嫌韓が嫌中よりも今は強いような感じがする。

ココ最近の電子部品を譲らないことから事態は始まった。

 

SNSでも嫌中は無くならないにせよ、嫌韓がここまで出ており、観光客減少や日本ビールが売れないなど、それでいいのか?と思うことがある。

 

U師匠の記事も読んだ。

大義名分(・・・というか、正論)なら何をしても良いという人が怖いという。

 

戦中は人を殺るのが当たり前だったようだし、安田講堂では死傷者が出たけれど、それに対して後から、あれは何だったのか?という人は少ないのだろう。

 

きな臭い時代でなくとも学生が学生時代にバカやヤンチャを散々やって、就活でピシッとキメるようなものだ。

 

たぶん、そういうものだ、で疑わない人がいるんじゃないか?

流れに流されて、それに乗って今を生きる。

そういうものだから、それで良いみたいな。

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ドーナツトークの某氏の記事も読んだ。

当たり前の人が作ったのが世の中だ、ということが書いてあった。

 

大多数の人の意見に乗って生きれば間違いないが、マイノリティ…自分の意見を持ちながら生きる人が目に入らなくなる。

ゆえに、世の中の作りが大多数の形になっていく。

 

マイノリティが生きにくいというのはある。

だけど、それを保護した途端にフツーの人も「援助を受けられるんなら自分も…」みたいなのがあってもおかしくない。

弱者保護が主流になれば、それに乗じた生き方をする人も出てくるのだ。

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○○だから大事にされねば、というのはおかしい。

○○が、もし、強者の属性や不自由のない者なら、待遇は変わってきても良いはずだ。

 

香山リカ女史はまえに、女性天皇は良いが、それにより隅に追いやられる男性皇族の存在云々…を書いていた(のを見た覚えがある)。

 

要は分かりやすい特性・・・「性」で人を分けるのはどうか?というものだ。

 

 

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しかし、正論があれば何をしても良い、というのは怖い。攻撃しても良いのだ。

人はそこにあらゆる理由を付ける。

些細でしょーもないこじつけで潰しに入る。

「アイツは○○だから」と決めてかかる。

 

こういうのは人の持つ「本能(攻撃性)」かしら?

せめて「こーゆうのは止めようぜ」みたいなことがないと、子供に限らず大人世界もおっかないと思う。